朝の光が、カーテンのすき間から差し込んでいた。
まだ少し冷たい空気の中で、
湯気の立つコーヒーをひと口。
時計の針は、もうすぐ8時。
もうすぐ、あかりちゃんと待ち合わせの時間だ。
駅に着くと、春休みのせいか人が少し多い。
ホームのベンチで彼女を待っていると、
「おはよう」と、
軽やかな声が背中から届いた。
振り向くと、
あかりちゃんは白いカーディガンを羽織って、
薄いピンクのスカートを揺らしていた。
朝の光の中で、
その姿がまるで春そのもののように見えた。
「おはよう。今日は早かったね。」
「うん、楽しみすぎて、ちゃんと起きちゃった。」
そう言って笑う顔を見て、
こちらまで自然に笑みがこぼれる。
電車に揺られながら、
お菓子をつまんだり、窓の外を指さしたり、
他愛もない話がずっと続いた。
あかりちゃんは時々、
嬉しそうに車窓の景色を写真に撮っては、
「これ、帰ったらアルバムにしようね」と言う。
その“帰ったら”という言葉が、
なぜか心に残った。
まるで、これが一度きりの旅じゃなく、
これからも一緒に過ごしていく日々の一つのように思えた。
目的地の小さな町に着くと、
桜並木がゆるやかに風に揺れていた。
川沿いを歩くと、
花びらが流れに沿ってふわりと漂っていく。
「きれいだね」
「うん。春って、やさしいね。」
あかりちゃんがつぶやく声が、
まるで桜の香りのように柔らかかった。
彼女の髪が風に揺れて、頬にかかる。
思わず手を伸ばしそうになって、
でもその瞬間、彼女の方が先に気づいて笑った。
「髪、顔についちゃった。」
そう言って自分で耳にかけながら、
少しだけ頬を赤らめた。
昼は、駅前のパン屋さんで買ったサンドイッチを、
川辺のベンチで食べた。
あかりちゃんは、卵サンドを頬張りながら、
「ピクニックみたいだね」と嬉しそうに言う。
風が心地よくて、
桜の花びらがときどき膝の上に落ちてきた。
「春のにおい、好き。」
「どんなにおい?」
「うーん……ちょっと甘くて、ちょっと切ない感じ。」
彼女のその表現が、
まさに今の空気そのものに思えた。
この時間がゆっくり流れていくことが、
ただそれだけで幸せだった。
午後、坂道を登って小さな神社まで歩いた。
鳥居の向こうには、
まだ人の少ない境内と、
咲き始めた桜の木。
「ねぇ、せっかくだし、おみくじ引こうよ。」
「うん。」
二人並んで引いたおみくじ。
僕のは“吉”、あかりちゃんのは“中吉”。
「ふふっ、微妙に私の方が上だね。」
「ちょっと悔しいな。」
そんな小さな勝負を笑い合いながら、
願い札を結んだ。
彼女がそっと結びながら、
「来年もまた一緒に来られますように」
と小さな声でつぶやいたのが聞こえた。
その言葉に返すように、
僕はそっと彼女の手を握った。
あかりちゃんは驚いたように見上げたけれど、
すぐに、少し照れたように微笑んでくれた。
その手のぬくもりが、
春の風よりもやさしく、確かに伝わってくる。
何も言葉はいらなかった。
ただ、その瞬間、
「この人と過ごす日々を大切にしたい」と、
心の底から思った。
夕方、帰りの電車に揺られながら、
あかりちゃんは少し眠そうに肩を寄せてきた。
「ねぇ、今日ね」
「うん?」
「すごく楽しかった。
なんかね、ずっとこんな日が続いたらいいのになって思った。」
僕は返事の代わりに、
彼女の頭をそっと撫でた。
あかりちゃんは目を閉じて、
そのまま少しだけ肩にもたれかかってきた。
車窓の外には、
沈みかけた夕日が遠くの山を染めていた。
その光が、彼女の髪に反射して、
まるで淡い桜色のように見えた。
「ねぇ」
眠そうな声で、あかりちゃんがつぶやく。
「今度は、夏にどこか行こうね。」
「うん、約束。」
そう言うと、
彼女は小さく笑って、
そのまま目を閉じた。
電車のリズムが心地よく響く。
春の風が、少しだけ窓から入りこんで、
二人の間にやわらかく流れていった。
そして僕は思った。
この旅のいちばんの思い出は、
きっと“行き先”じゃなく、
この“隣にいる時間”なんだ、と。

