結婚してしばらく経ったある夜。
僕が仕事から帰ると、部屋にはあかりちゃんが淹れてくれたカモミールティーの香りが漂っていた。
すっかり我が家の匂いになったこのやわらかな香りは、まるで「あ、今日もおかえり」って言ってくれているみたいで、扉を開けた瞬間から気持ちをほどいてくれる。
「おかえりー、今日はちょっと寒かったでしょ?」
ソファに座ってテレビをぼんやり見ていたあかりちゃんが、僕を見た途端、ふわっと笑った。
その笑顔の中に、どこか照れたような、いつもよりほんの少しだけ期待を含んだ光が見えた気がした。
夕飯を食べて、ゆっくりお風呂に入り、いつものように隣に並んでソファへ戻った。
そのとき、あかりちゃんが僕の手をそっと握って、小さな声で言った。
「ねぇ…ちょっと、話したいことがあるんだ」
普段から明るくてよくしゃべるのに、こんなふうに前置きをする夜は珍しい。
僕が姿勢を向けると、あかりちゃんは膝の上の指をくるくるいじりながら続けた。
「最近さ…未来のこと、よく考えてて……」
「未来?」
「あのね……あなたとの家族のこと」
そう言った瞬間、頬がすっと赤くなるのが分かった。
あかりちゃんは照れ屋だから、こういう話を切り出すのには勇気が必要だったのかもしれない。
「えっとね……いつかでいいんだけど……
あなたとの子ども……迎えられたらいいなって思ってるの」
彼女はゆっくり、でも確かな想いを言葉にした。
その声はかすかに震えていて、だけど真剣で、僕の心の奥深くまで静かに届いた。
胸の奥がじんわり熱くなる。
まるで、何年も前からそこにあった願いがやっと形になって、そっと手のひらに乗ったような感覚だった。
「……僕も、ずっと思ってたよ。
あかりちゃんとなら、きっと温かい家庭が作れるって。」
そう言うと、あかりちゃんは安心したように僕の胸に寄りかかった。
彼女の細い肩が触れると、未来というものが急に現実味を帯びていく。
「ねぇ……もしさ、本当に家族ができたら……
あなたみたいに優しい子になるかな?」
「いや、きっとあかりちゃんに似て、明るくてよく笑う子になるよ」
「えへへ……それだと嬉しいなぁ」
そんな会話をしているうちに、気づけばソファの明かりだけが部屋に残り、夜の静けさがふたりを包んでいた。
少しして、あかりちゃんが小さな声で付け加えた。
「……私ね、あなたとなら、どんな未来でも大丈夫って思えるの。
だから……ゆっくりでいいから、一歩ずつ、一緒にね。」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にある「守りたい」という気持ちが強く、静かに灯った。
僕はあかりちゃんをそっと抱き寄せ、彼女の額に軽くキスを落とした。
「うん。ふたりで決めて、ふたりで進んでいこう。
家族になる未来も、きっとすごく幸せなものにしようね。」
あかりちゃんは僕の胸に顔をうずめて、小さく「うん……」とだけ返した。
その声はふるえていたけれど、そこには確かな温かさがあった。
夜の静けさが、まるで未来への約束をやさしく包んでくれるようだった。
ふたりの世界はこれまででいちばん近くて、
そしてこれからもっと深くなっていくのだと感じられる夜だった。

