今日は、出産前の“最後のふたりきりデート”の日だった。
朝は少し曇っていて、冬の空気がひんやりと頬に触れた。
外に出るのは少しおっくうかな……と思っていたけれど、あかりちゃんは小さく丸まったお腹を優しく撫でながら、穏やかな笑顔を向けてくれた。
「最後のデートって言っても、たぶんこれからもずっと一緒なんだけどね」
「うん。でも……今日だけは、なんか特別にしたいな」
そんなやりとりをして、ゆっくり身支度をした。
あかりちゃんは、動きやすくて柔らかいワンピースを選んでいた。
身体のラインは以前よりふんわり丸くなっていて、その姿がどうしようもなく愛おしい。
彼女がお腹にそっと手を添えて微笑むだけで、胸の奥がじんわりあったかくなる。
■ ゆっくり散歩からスタート
目的地は近所の公園。
激しい外出は控えているから、ふたりでゆっくり歩ける場所にした。
寒いけど、空気はきれいで澄んでいた。
ベンチに腰を下ろすと、落ち葉が風に乗ってさらさらと流れる。
あかりちゃんは息を吐いて、僕の肩に軽くもたれた。
「あと少しで会えるんだね……」
「うん。もうすぐだよ」
そう言いながら、僕はそっと彼女の手を握った。
お腹の中の命が大きく動くたびに、ふたりの表情に自然と笑みがこぼれる。
「この時間、大事にしないといけないね」
「……うん。赤ちゃんが生まれたら忙しくなるし。でもね、こんなふうにあなたと並んで座ってるだけで幸せなんだよ」
その言葉を聞きながら、僕の胸の奥に温かいものが広がった。
■ いつものカフェでランチ
歩いてすぐの、昔からふたりでよく来ていた小さなカフェ。
なんでもない日に寄ったり、少し気分を変えたい日にだけ立ち寄ったり……。
思い出の積み重なった場所だ。
お店の人も、あかりちゃんのお腹を見ると優しく笑ってくれた。
「いよいよですね。体、無理しないでくださいね」と声をかけられ、
あかりちゃんは少し照れたように「ありがとうございます」と笑った。
温かいスープを一口飲んだあかりちゃんが、ほっとしたように目を細める。
「おいしい……なんか安心する味だね」
「赤ちゃんが生まれたら、また三人で来ようか」
「ふふ、子ども用の席もあるからね。あ、でも泣いちゃったら迷惑かな」
「泣いたっていいよ。俺がだっこして外に連れてくから」
そんな未来の話をしていると、胸がじわっと温かくなる。
“ふたりきりの最後のデート”なのに、気づけば“これから三人になる日々”のことばかり考えてしまう。
でもそれが、不思議と嬉しかった。
■ 帰り道、手をつないで
外に出ると、雲の隙間から日差しがのぞいていた。
冷たい空気の中で、その光だけがやわらかく周囲を照らしている。
歩きながら、あかりちゃんがぽつりとつぶやいた。
「ねえ……大丈夫かな、私。ちゃんとお母さんになれるかな」
その声は小さくて、少しだけ震えていて。
思わず足を止めて、僕は彼女の手を包み込んだ。
「大丈夫だよ。あかりちゃんはいつも、一生懸命で優しくて……俺が保証する。絶対、いいお母さんになるよ」
彼女の目には、ほんの少し涙が光っていた。
「あなたがそばにいてくれたら、頑張れる気がする……」
「ずっとそばにいるよ。これからも。三人でもっと幸せになろう」
そう言うと、彼女は静かにうなずき、僕の胸に寄りかかってきた。
■ 家に着く頃には夕暮れ
部屋に戻ったころには、窓の外が薄紫に染まり始めていた。
あかりちゃんはソファにもたれて、お腹を優しく撫でながら言った。
「これが最後のデートかぁ。でもね、なんだか寂しい感じはしないの。不思議だよね」
「うん。これからもっと大きな幸せが来るから」
「……そうだね」
お腹の中で赤ちゃんがぽこんと動いて、ふたりで顔を見合わせて笑った。
「次のデートは、三人だね」
「うん。にぎやかになるよ」
そう言い合いながら、僕は彼女の手を握った。
これまでの“ふたり”が終わる寂しさより、
これから始まる“家族としての毎日”の喜びのほうが、ずっとずっと大きかった。
ーー今日のこの静かで穏やかな一日は、きっとずっと忘れない。

